ゆるキャンの映画が何か辛い、という話
ゆるキャンの映画を見てきました。結論としてはとても良かったです。世界観も作画も、とても綺麗で没入感がありました。
良かったですが、何か自分の中では決定的に辛くて、そのモヤモヤの限りを駄文にまとめていきたいです。
以下ネタバレ注意
まず、この作品の基本的な構造を先に共有します。
本作品のメイントピック
山梨県のとある廃墟化した土地を、キャンプ場として「再生」させる(プロジェクト)
メンバー
なでしこ:アウトドアショップ店員 東京都在住(昭島市?)
リン:出版社編集部社員 名古屋在住
イヌコ:小学校教員 山梨県在住
恵那:ペットサロン店員 横浜在住
高校卒業から約10年、この5人を中心に上記のプロジェクトを山梨県公式のプロジェクトとして遂行する。
①アニメの時間軸から約10年後、確定した未来
これが一番自分の中では大きいです。
そもそも今回の劇場版のコンセプトから覆してしまうような発想ですが、「こうでもありえた彼女たちの未来」の他のすべての可能性が”公式的に”捨象されてしまったのが私にとっては結構刺さるポイントでした。
(もっとも、公式で確定したその”未来”次第ではこの感想を抱かなかったかもしれませんが。。)
それも、約10年という決して短くはないスパンが設けられたこと(例えば高校を出てすぐの、アニメ版の”延長線上”にあるような未来ではなく)”あの頃から断絶した世界の未来を”いきなりドンと出されてそれを受け容れなさい、という姿勢を、随所からひしひしと感じられたのが私にとっては特に辛いポイントでした。
特にリンが、年越し時に他の野クルメンバが初日の出を見に出かけている最中に、明かりの落ちたオフィスで一人カップ麺を啜りながら徹夜でデスクに向かい、会社のブラインド越しに年明けの朝を知るシーンはかなり辛かったですね。。。
リンって、アニメでは中学生時代の初ソロキャンプの様子からしっかりと丁寧に描かれているキャラだったので、人一倍幸せになってほしいなと特に感情移入してしまうようなキャラクターだったんですが、その未来がこうも高い解像度で描かれると結構来るものがありました。
②大人になり、大人としての役務に奔走する元少女たち
アニメから約10年後の未来。そのありよう次第では、アニメ版と同じく見るだけで「癒し」を得られるような作品だったかもしれません。
一方、実際に公式の映画で描かれた彼女たちの未来の姿は、「大人」として戦略を立て、「大人」として緻密な計画を練り、そして「大人」として仕事の達成感に浸る一種の起承転結型サクセスストーリーでした。
もちろん、それは良いことですし、ストーリーとしても見応えがあります。
しかし私がゆるキャンから得たいものは、例えば「下町ロケット」のような仕事人の生きざまというよりも、ただ単純に、彼女たちが日常の中で些細な楽しみからキラリと輝く瞬間を見つけるとき、その時の小さな感動なのです。
映画として、もちろん話に緩急のある作品を作らねばならないことは重々承知です。
しかし「ゆるキャン」という作品だからこそ、良い意味で「身を入れずに」観られるという武器を保ってほしかった。「ゆるさ」という根幹は保ってほしかった。
多分他の方からしたらつまんない話になる気がしますが、大人になって車を乗り回せるようになったという「進歩」にフォーカスして、ただ漫然と北海道だったり全国の秘湯を巡るドライブキャンプの姿を見せる、ぐらいの”濃さ”でも私は全然良かったなぁ、と。
私自身も不格好ながら一人の「大人」をさせてもらっている立場として、彼女らの溌剌とした”働きぶり”を見ると、どうしても自分の抱えるプロジェクトの進捗管理、顧客との関係構築、問題発生時のリカバリ方法の模索等の”自分ごと”が想起されてしまうような内容で、(良くも悪くも)そこには物凄いリアリティと没入感があってちょっと胸やけするような思いでした。
そして同時に、日頃の些細な楽しみよりも、”大きなコンテンツ”を”プロジェクト業務”として進めて行くことに最大級の悦びを感じるようになった彼女らを見て、「大人になったなぁ」とこどおじ1名心の中で呟くのでした。
③心のどこかで”あの頃”に執着している大人たち
ここまで散々書きましたが、言っても①、②のポイントだけならば「大人になった元高校同級生たちがとある一大プロジェクトを遂行する」という、なかなかにキャッチ―で見ごたえのある作品です。
しかし、これに次の要素が加わることでこの劇場版ゆるキャンは決定的に辛いものになってしまったと、私の個人的な感想では受け止めています。
冒頭で提示した、本作品作中での彼女たちのステータス。
プロジェクトを本来の意味で「本業」とするのは、見てもらえばわかる通り山梨県庁に勤める大垣1人です。
それでも、平日は他に本業のある他メンバが、このプロジェクトを遂行するためにほぼ毎週末の休みを費やして遠路はるばる山梨に集まった。かつての”いつメン”の元へ、そして山梨へ回帰した。
けっこう辛くないですか?
そしてそこで行うのは、廃墟化した土地を綺麗なキャンプ場に整えるというプロジェクト。
途中で予期せぬアクシデントあり工期の遅延はありましたが、それが無かったとしても8ヶ月の工期を要するものでした。
貴重な休日をほぼ全て費やして8ヶ月間、本業の仕事とは異なる「プロジェクト」を動かすことは並大抵の労力や忍耐力ではかなわないでしょう。
しかし、それでもなお、彼女たちは違和感なく毎週末必ず山梨の奥地に集まった。
各々、およそ5年ほどの社会人生活を経て手にしたマイカーを携えて。
そのあたり、私には結構辛く感じました。
「大人」の精神に染まりながらも、一方で心のどこかに”あの頃”の楽しみに縋る彼女たち。
一方で「大人」として、あの頃の些細な楽しみよりも、成果の出せる、大きなコトに奔走するその姿。
「戻らない時間と瞬間」を無意識のうちに求め続けた結果、その恩恵によって大きな成果物を作り出すことには成功した。
しかし、彼女たちの持っている精神性は”あの頃”から大きく変わってしまったことを、神の視点から見ていた私は痛感してしまいました。
すごい嫌味たらしい話で何だか申し訳ないです。
ちなみにそのあたりの話って、映画終盤のちくわ(恵那の飼っているチワワ)の老衰が露呈するシーンによってより強調されてる気がします。
ちくわは、恵那と出会ったばかりの”あの頃”のように無邪気に精一杯走りたいけど、今ではもうそれが叶わない。
なかなか来るものがありますね。。
これ以上書いても老害の駄文が尽きないのでこの辺にします。
「ゆるキャン」という作品は、等身大の生きざまを描く作品だからこそ、大人になった彼女たちのその”リアリティ”にはどこか寂しさを抱いてしまうという結論なのでしょうか。
でも、ここまで散々書きましたが、総括としてはとても綺麗な作品で、各キャラクターの個性や良さは余すことなく引き継がれていた(これは本当に良かった)ので、全体として見れば見に行ってよかったなぁと思える作品でした。
なんとかリンが報われてほしい。。。
以上です。ありがとうございました。
わたくしの好きな転調
思いつくだけまとめました。
スキマスイッチ「奏」
ラスサビが単なる半音上昇ではなく短3度上昇、それもCメロの”途中から”始まるのがとても好きです。
Bメロだけマイナーキーになります。お洒落。
YOASOBI「夜に駆ける」
2番サビが半音下降というのがなかなか新鮮ですが、そこから続くラスサビで一気に3つ挙げる手法はとても大胆です。
冒頭のサビからAメロに移行するときに短3度下降、そしてサビに行くときに元の調に復帰するワープ感が好きです。
動画の貼り付け制限みたいなのがあって今回はここまでです。バイバイ